『命のビザ』コンサートと僕

8月15日の『命のビザ』コンサートの為に、台本を読んだり、杉原千畝氏の資料を読んだり、イスラエルの音楽を聴いたりの日々。作曲や練習をする中で、今、僕の心に強烈に迫ってくるのがショパンの音楽です。ショパンの魂がとても身近に感じられるのです。

僕は17歳で音楽の勉強の為、一人パリへ旅立ち、その後、病床で聴いたイスラエルの音楽に導かれ、イスラエルに1年住むことになりました。1年間の滞在中に家族ぐるみでお世話になった語学の恩師のシムハ先生が、ある時私の手を握りしめ、第二次世界大戦時のポーランドでの子供の時の体験を話してくれました。家族みんなゲシュタポに広場に連れていかれ、ご両親はその場で射殺された、と号泣しながら・・・。僕は何の言葉もかけることが出来ず、ただ一緒に泣きました。その時の話は忘れることはできないし、忘れてはいけないと思っています。

1995年午前5時46分、阪神・淡路大震災が僕の住んでいた兵庫県芦屋市を襲いました。26年前の出来事です。その時にいち早く、立ち上がってくれたのが、第二次世界大戦時に杉原千畝氏から命のビザをもらって、ウラジオストックから日本経由でアメリカへ命からがら渡ったユダヤ人とその二世たちのグループでした。彼らは日本から受けた恩返しをしたいと、ニューヨークで1週間のマラソンコンサートをして、集まった寄付金を神戸に送ってくださったのです。その時に神戸の作曲家の曲を演奏したいという話を受け、僕の曲を提供させていただいたという経緯があります。この時、僕は初めて6000人のユダヤ人を救った「杉原千畝」という外交官がいたことを知りました。

そして2012年日本とイスラエルの国交60周年記念事業として、イスラエル大使館からの委嘱作品「命のビザ~杉原千畝へのオマージ」(野村路子作・林晶彦作曲)を、紀尾井ホールで披露することになったのです。

期せずして、「第二次世界大戦」「ユダヤ人」「杉原千畝」が僕の人生に入ってきました。

今回は、ドイツの政策に反し、日本政府の命令に背きビザを発給するに至った杉原氏の心の葛藤を描きつつ、救われた多くの命への愛、優しさ、そして希望が感じられる作品に仕上がったと思います。

僕のピアノと西山琴恵の透明感のある歌声、そして野村路子の力強い語り。

こんな時代だからこそ、コロナ禍だからこそ、すべての人間の命を大事にし、子どもの笑顔を守るために私達のできることは何なのか?人間の尊厳をもって生きるとはどういうことなのか?本当の勇気とは?そして、時代は移り変わっても変わらない大切なもの。そんなことを考えるきっかけにしていただければと思います。

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